1949年に歴史的な椅子が産声を上げました。Charles and Ray Eamesがデザインしたファイバーグラスチェアです。この椅子は家具史上大きな意味を持っています。北欧の家具が手工業の賜だとしたら、ファイバーグラスチェアはある意味正反対の「工業製品の賜」なのかもしれません。それまで、ヘルメット等に採用されていたファイバーグラスを素晴らしいデザイン力で椅子へと変形させてしまったのです。大量生産が可能で、そして安価。当時第二次世界大戦が終わり、帰還兵がアメリカ本土に溢れていた時代、安価でそしてセンスのよい、また耐久性が高い家具の需要はすごかったのです。このセンスのよい椅子は瞬く間にアメリカ全土に広がり、そして多くの家庭で使われるようになりました。その後、業務用としても認められ、アメリカの沢山の会社がファイバーグラスチェアを採用しました。
一旦はファイバーグラスに含まれる環境によくない素材のために、製造が中止されましたが、自動車部品に使われる環境に影響を及ばさないファイバーグラスの登場により復活となりました。製造中止が1990年ですので、それから24年が経ち復刻となりました。
イームズのファイバーグラスチェアは誕生からこれまで、仕様変更を含め色々変化してきています。
1953年 - 1955年
製造はゼニスプラスチック社、特徴は薄いグラスファイバーと、補強の為に入れられたロープエッジ。ロゴはハーマンミラーとゼニス社のダブルネーム
1955年 - 1970年
2ndから製造もハーマンミラーになる。座面にエンボスでロゴマークと社名が入る。通常のナローマウントポジションとスタッキング用のワイドマウントポジションが存在。
1970年 - 1990年
楕円の枠の中に小文字の社名が入ったエンボスロゴ(一部大文字のものあり)。マウントポジションはナローマウントポジションに統一グラスファイバーの量がかなり削られる。
日本国内生産 1986年-1999年
シェル、ベース共に「モダンファニチャーサービス」時代から国内生産を行っていた。
一時代台湾でシェル(FRP)のみ製造した時期があるが、クォリティーが低かった為、中止となる。
国内生産のシェルチェアは座高が若干低い仕様だった。
ダブレット付きシェルチェアにタブレットはUS本国では固定式だったが、国内生産品は脱着可能なものだった
国内生産 1986年 - 1999年
1990〜1998年
アメリカで廃盤となったあと、デットストックシェルを日本に輸入し、国産のベースを付けて販売した。
アメリカ製最後のシェルには「Charles Eames」の刻印がある。
1998年 - 2010年
1990年ハーマンミラーは環境保護の為FRP製のシェルチェアの製造を中止(日本では2000年1月に販売中止)その後、Vitraがポリプロピレン製で1998年に復刻し、日本では2000年からVitra製シェルチェアをインターオフィスが独占販売を行う。
ハーマンミラーがアジアでのイームズの販売権を獲得し、2004年5月1日よりVitra製のシェルチェアを販売開始。2009年5月、グライズ変更し従来の1ピースのものから外れにくい2ピースのものになる。
2010年
2010年再びハーマミラーでポリプロピレン製のシェルチェアの製造を再開。移行期にシェルがVitra製、ベースがハーマンミラー製と混在ウッドベースの色が変更となります。
2011年7月 アメリカ製のシェルチェアに完全に移行。現在のシェルにはハーマンミラーのゴロが付けられています。

1)ハーマンミラーのシェルの方がざらりとした質感。
2)ハーマンミラー社のシェルの方が若干厚い
3)ハーマンミラー社の刻印がつく
2013年5月
ウッドシェル発売開始
2014年
ファイバーグラスシェル復刻
ポリプロピレン製のシェルの現在のカラーバリエーション(全14色)
ファイバーグラス製のシェルの現在のカラーバリエーション(全8色)
主なベースバリエーションと納期
ワイヤーベース | スタッキングベース | |||
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受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
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トリバレントクローム | ブラック |
ドウェルベース | |||||
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受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
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メープル材レッグ × ブラックワイヤー | ウォールナット材レッグ × ブラックワイヤー |
レッグベース | |||||
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受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
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トリバレントクローム | ブラック |
ロッカーベース | |||||
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受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
受注品 お届け約12週間 |
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クロームワイヤー メープル材ランナー |
クロームワイヤー ウォールナット材ランナー |
ブラックワイヤー メープル材ランナー |
ブラックワイヤー ウォールナット材ランナー |
カラーバリエーションの組み合わせ
イームズのファイバーグラスチェアをお買い求め頂く時に、単色で数脚合わせてお買い求め頂く場合もございますが、数脚別々のお色でお考えのお客様も沢山おみえです。色の組み合わせてどんな雰囲気になるのか、以下のチャートでお確かめ下さい。
1 脚 目 |
パーチメント | ウルトラマリンブルー | レッドオレンジ | レモンイエロー | ネイビーブルー | グリーン | ブラック | シールブラウン |
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2 脚 目 |
パーチメント | ウルトラマリンブルー | レッドオレンジ | レモンイエロー | ネイビーブルー | グリーン | ブラック | シールブラウン |
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3 脚 目 |
パーチメント | ウルトラマリンブルー | レッドオレンジ | レモンイエロー | ネイビーブルー | グリーン | ブラック | シールブラウン |
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4 脚 目 |
パーチメント | ウルトラマリンブルー | レッドオレンジ | レモンイエロー | ネイビーブルー | グリーン | ブラック | シールブラウン |
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1脚目 | 2脚目 | 3脚目 | 4脚目 |
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Charles and Ray Eames(チャールズ&レイ・イームズ)
1907-1978 | 1912--1988
チャールズとレイの夫婦でのデザインチームはアメリカンインテリアおよびグラフィックデザインの新しい価値を確立し、マルチメディアおよび企業デザイン戦略というものの活動の場を生みました。日常生活品の賛美者であるイームズ夫妻はたくさんの写真イメージを集めたり、自邸とオフィスの両方に世界中から集めた民芸品やオブジェをずらりと並べたりしていました。プレハブ式の材料で建てられた彼らの家、そして彼らのオフィスは驚くほどユニークで、ミッドチェンチュリーモダンのデザインが豊富に育てられた場所として現在も残されています。
チャールズはミズーリ州セントルイスで生まれ、ワシントン大学で建築学を学ぶ。しかし近代建築に熱を入れ過ぎ、教授らの反感を買ってわずか2年で退学処分となる。29年に最初の妻キャサリンと結婚し、30年には自身のオフィスを立ち上げる。セントルイス内外の家屋をデザインしたり、アーカンソーで教会をデザインしたりといろいろな建築の仕事をする。その間に設計した「聖メリーズ教会」が雑誌「アーキテクチュアル・フォーラム」に取り上げられ、それを見たエリエル・サーリネンが手紙を送ったことから2人の交流は始まる。1936年エリエル・サーリンネンの招待でクランブルック美術アカデミーに奨学生として入学。家族でミシガンへ移り、1940年までそこで過ごしました。最後の1年は教師として勤務もした。クランブルック在学中に彼はエリエルの息子エーロ・サーリネンと出会い、ニューヨーク近代美術館の「オーガニック・ファーニチャー」コンペで画期的な受賞作品を共作しました。その「オーガニックチェア」は曲線が美しく、合板を使った座面を3次元に加工するという新しい製作方法を提案したものでした。
レイはサクラメントで生まれ、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグそしてハンス・ホフマン美術学校で絵画を勉強しました。1936年には前衛的芸術を賞賛し、展示方針が厳しく古典的なギャラリーを抗議するアメリカ抽象画家の過激グループを手助けしていました。1940年クランブルック入学のためニューヨークを去りましたが、すぐにシカゴでチャールズと結婚し、結婚後は二人でロサンゼルスへと引っ越しをしました。
40年代前半、チャールズはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社の美術部に勤めながら、合板を使った家具の大量生産に向けた製作に取り組み始めます。エーロ・サーリネンの協力のもと、成形合板を曲げて軍用の足の添え木を製作するための研究機会に恵まれました。この技術が彼らの家具デザインに生かされ、「DCW」として知られる「Dining ChairWood」や、「LCW」そして「LCM」として知られる「Lounge Chair Wood」そして「Lounge Chair Meta」のようなシリーズが開発されました。椅子のデザインに対するイームズの姿勢はシェルを座面として考えるのを捨て、体にぴったり合う形として考えること、そうすれば張り布が必要なくなるというものでした。1940年代後半には強化成形ファイバーグラスで作った座面を発表し、それらは「エッフェル」、「キャッツクレイドル」、そして「ロッカーベース」といったいろいろな種類の脚に取り付けが可能でした。1950年頃には、イームズ・ストレージ・ユニットを発表。組み立て式の棚に鮮やかな色のパネルが付いていて、他にトレードマークである凸凹が施されたスライディング式もしくはプルダウン式の扉が付いていました。彼らはワイヤーだけで構成された「ワイヤーチェア」も開発しました。1956年には友人ビリー・ワイルダーへのプレゼントとしても有名な、革張りの「ラウンジチェア&オットマン」が彼らのシリーズの中では最も上等で高級な作品の1つとして発売されました。50年代後半そして60年代には企業および家庭用として「アルミナムグループ」が発表され、同時に空港向けにデザインされたかの有名な「タンデムスリングシーティング」や「タンデムシェルシーティング 」も発表されました。イームズはハーマン・ミラーにて家具デザインだけでなく広告やショウルームのデザインもしました。
いろいろな玩具、小さなオブジェ、フィルムや展示会はすべてイームズオフィスの業務範囲でした。60年代、ウェスティングハウス社、ポラロイド社そしてIBMの展示会や企業映画に特に着目をしていた2人。IBMの急速な科学進歩が認知されるようにと、イームズは1964年ニューヨークでの世界博覧会で「マスマティカ」という展示を、そしてIBMパビリオンをデザインしました。数学の歴史や理論についての展示「マスマティカ」は今もボストン科学博物館に展示され、当時のコンテンツが未だに多くの人々を引きつけている。
イームズは大量生産が可能で、手ごろな価格で買え、デザイン性も良い家庭向けの家具や雑貨が社会向上するための環境を作ってくれる道具なのだと信じていました。彼らがやむことなく働いていた何十年もの間、イームズは装飾家、エンターテイナー、教育者、そしてアーティストの役割を担ってきました。彼らの業績、そして発展的な仕事哲学はアメリカンスタイルの定義づけに貢献した。「何が機能するかは、何がかっこいいかよりも重要。“かっこよさ”は変わっていくが、機能は機能であり続けるのです」とレイはまとめています。