現在の社員数は20名程。「従業員が5人になった時はどうしようかと思いましたよ」と優しくも、しっかりとした口調であの頃を懐かしむようにお話始めたシキファニチアの代表の志岐さん。
シキファニチアは福岡空港から車で約1時間程、大分自動車道「甘木インター」から10分のところにある朝倉市にあります。朝倉市は人口5万人ほど。第一次産業に従事する方が多く、でも今では近隣の福岡市や久留米市に仕事に出る方も多くベットタウンになりつつあるそうです。「このあたりは盆地で、夏は暑く、冬は寒い。いいことは何一つありませんよ」とちょっと日焼けした愛嬌のある志岐さんは微笑みながら話してくれます。
シキファニチアは所謂「脚もの」(テーブル、椅子)を専門とする家具製造会社。その前身は現代表の志岐さんのお父様が始めた家具工房だったそうです。お父様は四男(シキファニチアの「シキ」は苗字の「志岐」からとったもの。お父様が付けた名前だそうです)。あの時代、四男といえば、できるだけ早くうちを出て自らの力で自らを養っていかなければいけないと、普通に思った時代。そのお父様のさらにお父様が、家具どころの大川で始めた家具工房を次男が継いだことで、さらにその気持ちが強くなり、技術一つでまずは、昭和33年頃から自ら作った家具をリヤカーに乗せて、近隣の各家庭を回り、まるで今の豆腐屋さんのように、家具を販売し始めたそうです。
そんな行商で出会ったのが奥様。その奥様の出身地が朝倉市であったことから、朝倉市に工房を開き、今に至るということです。「多分、母が、父がリヤカーに乗せて売りに来た家具を買いに来たんじゃないかな??」なんて、馴れ初めを話してくれる志岐さんは少し恥ずかしそうです。
実は志岐さんの叔父さん達(長男さんを除くお父様の兄弟)は皆、家具工房をやってらっしゃった。この過去形であるところを話す志岐さんの表情は硬く、そしてそれまでの笑顔とは少し違った緊張感がありました。家業を継いだ次男さん、婚礼家具を専門に扱う工房。三男さんはこの次男さんの家具工房へテーブルを収める下請け、そして四男の志岐さんのお父様は同じく次男さんに椅子を収める下請けとし、日々切磋琢磨して家具作りに励んでいました。
残念なことに、志岐さんのお父様は志岐さんが高校生の時に他界してしまいます。それからは、次男さんがお父様に替わり、シキファニチアの面倒を見ていました。次男さんはご自身の家具工房もあったので、同時に2つの会社を経営していたことになります。そんなお父様の替わりに日々頑張ってくれる次男さんの姿を毎日見て過ごした志岐さんは自然と「シキファニチアは私が継ぐんだ」と思うようになったと言います。志岐さんは「あの頃は、父のやっている会社を継ぐのは普通だったよね??」と言いつつ、現在、20代になるご自身の息子さん達とは違う時代を過ごした自らの生い立ちを噛みしめるように話してくれました。
この家具業界というのは長年「婚礼需要」というものに支えられてきました。九州地方の大川も例外ではなく、箱物と言われるタンスや食器棚等、結婚の時に娘に両親が持たせる「嫁入り道具」で支えらて来ました。家具は大きな設備、そして沢山の人が要る産業。そしてさらに、大きな土地を持たないと家具は作れません。また作った家具を保管しておく大きな倉庫も必要です。定期的に新しい機械を入れるなど、定期的な大きな設備投資も必要となります。家具の需要があり、作るものが全て売れていく時代ならまだしも、それが一旦止まってしまったら、大きな設備投資への銀行からの借入金、大きな土地への固定資産税、そして賄い続けないといけない多くの職人、すべてが負担になってきます。家具工房は異業種への転換も非常に難しい業界です。
婚礼需要の先細りが見え始めたのは今から30年程前、バブル景気の崩壊(1990年代)と共に、家具の婚礼需要はどんどん細っていきました。
志岐さんのお父様の次男さんが経営していた婚礼家具専門の家具工房はこの煽りを一気に受け、廃業をしてしまいます。その連鎖廃業で下請けとなっていて三男さんの会社も廃業を選びました。残るはシキファニチアの志岐さんだけ。
「あの頃はこたえたね」って、少し寂しそうに志岐さんは語ります。高校生の時に父親を亡くされた志岐さんは大学を卒業、そして1年の丁稚奉公を経て、すぐにシキファニチアに戻って来ました。20代の後半には社長となり、経営を支えていました。そんな折りの大きな景気後退、そして叔父さん達の経営する工房の続けての廃業。毎日、右も左も分からないまま「どうしよう、どうしよう」と悩んでいたと言います。その頃、大勢いた職人も5人に減り、その5人の毎月のお給料を払い終えた時だけ「ほっとした」と、少しうつむき加減で話してくれました。
それまで下請けとして仕事をして来たことにケリを付け、「メーカー」として自ら家具を販売していく道を取っていこうと決意します。初めてメーカーとして今でも年に2回、大川で開催される家具の見本市に出展をすることを決めます。何度か参加するうちに、まだ箱物を紹介するメーカー中心の中、椅子だけをメインに紹介するシキファニチアに目を留めてくれた全国の家具店が現れ始め、それ以来、下請けとしてではなく、全国のショップに直接販売をする形態を取り現在に至ります。今では、天童木工で長年開発の仕事をして、地元福岡に戻った原 久雄さんを始め、多くのデザイナーとコラボレーションをしながら、椅子作りを進めています。
今では、5人だった工員は20人までに増え、「やっと、私が雇った人達だけになりました」と厳しさを潜り抜け、現在にまで至った経緯を語ってくれました。「でも、まだまだ」と言います。「このデザイン、そしてこの品質、でもこの価格で買えるいい椅子」、この部分においては全国のどの工房にも負けたくないと日々努力続けると力強く語ってくれました。ジャパンクオリティ、厳しさを通り抜けて来た工房であるからこそ持つ、もの作りに対する真摯な姿勢はこのシキファニの姿であり、作品に現れています。
コンフォートマート は北欧起源の家具を中心に販売するお店です。そんな中で、とっても遅いペースとはなりますが、日本で作る、「最低でもこれはお持ちいただけないでしょうか」と私たちがこの地域の方に誇れる家具をお店で紹介していきたいと思っています。それは、地方の家具店に対する今後の危機感の現れでもあります。少子高齢化で人口減が進み、地方の経済はどんどん衰退していきます。そんな中、経済界は細った地方の需要取込みのため、お店の大型化を進めます。地方では大型店ばかりになり、昔からあった家具店はどんどん姿を消して行っています。海外製の比較的安価な家具を手にした家庭で育つ方々、将来家庭を持った時に手にする家具は同じくそういった家具になってしまうのではないでしょうか。「選択がないから必然的にそうなってしまった」と見ているだけはダメだと思っています。できるだけ多くの人に手に入れやすい価格で私たちが誇れる日本製のいい家具を少しづつご紹介し、将来の家具需要を支えて頂ける方々と共に生きて行きたいと考えています。この地域の方へのご紹介を考えておりますので、積極的なオンラインでの販売は今のところ行なっておりません。シキファニチアの家具、気になるようでしたら、是非、店頭までお脚をお運び下さいませ。ですが、店頭にお越し頂き、ご自宅に帰ってから検討、そしてオンラインで購入したいとお考え頂くお客様ために、当店がお取り扱いしているシキファニチアの4商品のご注文ページをご用意しております。簡易なページで大変恐縮でございますがご利用下さいませ。