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【商品説明】
アルネ・ヤコブセンが1955年にデザインした「セブンチェア」。Yチェア以上にデンマークデザインのアイコン的チェアとして認識される唯一の椅子かもしれません。デンマークに買い付けに行っても、そしてこの日本でもありとあらゆるところで見ます。世界的な販売数はものすごいと聞きます。「総数600万脚以上」と少し前のインテリア雑誌に書いてありました。Yチェアの地域的販売分布で見ると、デンマーク、アメリカ、日本で、多分その半数。そのうちデンマークが半分、そしてアメリカが残りの7割、3割が日本、そうすると45万脚は日本にあるということになります。日本の人口の10%が東京に集中していますので、その通りにセブンチェアが分布しているとすれば、東京には45,000脚のセブンチェアがあるということになります。あながち外れた数字ではないという印象を皆様もお持ち頂けるのではないでしょうか。
セブンチェアをデザインしたヤコブセンを語るにやっぱり彼の民族的なバックグラウンドを知る必要があると思います。彼はユダヤ系のデンマーク人。父親はコペンハーゲン在住の貿易商。民族的な迫害を受け、世界各地に分散し、その地で大きな成功を収めた人が非常に多い民族。イスラエル系デンマーク人ですが、ヤコブセンがユダヤ教の教徒でない可能性もありますので、どのように育ったかは謎です。ですが、彼の持つエピソードで彼の民族的な葛藤が垣間見れるものがあります。1940年のスウェーデンへの亡命。ゲルマン民族絶対的優位主義で民衆を煽動し一国を支配したナチズムのヨーロッパでの躍進、そしてそのナチズムがデンマークが占領した時の彼の心境はどれほどのものだったか計り知れない。デンマークに住むユダヤ系住民に対する強制収容所への強制連行の噂が現実味をおび、彼は親友のポール・ヘニングセンと共に、デンマークから小さな手漕ぎボートを使い広いエーレ海峡を渡りスウェーデンに亡命します。2年だけの滞在計画でしたが、戦争が終わる1945年までスウェーデンに滞在することになります。
僕の印象だけで恐縮ですが、亡命する前と後では、彼のデザインに対する姿勢が全く違うような気がするんです。家具を積極的にデザインするようになったのは戦後、スウェーデンから戻ってきてから。亡命する前、彼自身が話しているように彼はル・コルビュジエから多大な影響を受けたバウハウス本幹の建築家。バウハウスの考え方を建築でデンマークに持ち込んだ第一人者。数々の賞を取り彼自身もその自負があったんだと思うんです。そして完璧主義。自分のやりたいと思うことについて他を寄せ付けない鋭さがあったと様々な文献を見ると分かります。もともと彼が神経質な性格だったとは誰もが知るところです。戦争が終わり、デンマークに戻った彼の元には足りない住宅の設計、また市民が使う公共の施設の設計など社会インフラを築き上げるプロジェクトが立て続けに舞い込む。亡命先での5年間、彼はたった2軒のサマーハウスを設計しただけ。それだけ蓄えがあったことも驚きですが、彼には多大な時間があったに違いありません。それまでも、そしてそれからもそんな考える時間を持つことはなかった。 「デンマークで生まれ育った、それでも民族的に迫害をうける、僕自身の人生ってなんだろう」って。いわゆる「アイデンティティクライシス」(自己喪失)。あったに違いありません。答えなんてないと思うんです。でも彼には設計の力があった。迫害から逃れた。それでも、戻ったデンマークからは社会インフラ、つまり国のために仕事をして欲しいとの依頼。「僕でも設計の力で、生まれ育ったデンマークの社会に貢献できるんじゃないか」、それまでは自らの能力の発表の場であった設計が、「社会に貢献する」という一本別の筋ができた、そんな感じだったんじゃないかと思うんです。だから、彼は設計に全てをかけた。その全てをかけ設計は建物だけでなく、家具もさることながら、床材、庭など全てが含まれた。まさにバウハウスのコンセプト、「人々のためのデザイン」。戦争という悲劇があり、彼は大回りをしこの境地に立ったんじゃないかと思うんです。
1940年から1943年、実はウェグナーはヤコブセンの設計事務所の社員として働いています。すごく面白い、彼が仕事を始めた途端、社長が国外に亡命。ヤコブセンがデンマークに戻ってくるのは1945年の終戦後ですから、ウェグナーがヤコブセンの設計事務所で仕事をしている間、ウェグナーは直接ヤコブセンから設計のことで教えてもらったことが全くない。幸か不幸か。ヤコブセンでの事務所で建物の設計はしたのだろうけど、残っている文献から、彼が設計したもののほとんどは建物に納品する家具のデザイン。もし、ウェグナーが直接ヤコブセンから影響を受けていたら、もっとウェグナーが設計した建物が残っていたかもしれません。運命、そして縁とは面白いものです。
セブンチェアのデザインは1955年。1952年にデザインされた「アントチェア」の製造技術を応用したもの。ヤコブセンの生前、何度も語っていたのが「プロポーションの美しさ」。彼が思い描く美しいプロポーションを実現するため、製造サイドは大変だったと言います。強度を保ちつつ、極限まで合板を薄くすること、そしてスチーレッグもそう。できるだけ細く。何度も何度も試作を繰り返して実現したのが今のセブンチェアのプロポーション。
このセブンチェアは1982年製。もともと張ってあった張地、そしてクッション材を剥がし、新しい生地、そして新しいクッション材で新しく張り直しました。使った生地はデンマーク生地ブランド「Kjellerup Vaeveri」(ケアロップヴァヴェリ)の「VIGSOE」(「ヴィクス」)。ウールとコットンの自然素材の糸で織られています。ケアロップヴァヴェリは現在、デンマーク国内に残る唯一国内生産をしている生地ブランド。普遍的なデンマーク伝統柄を今でも織り続けています。今年で創業70年。このヴィクスという生地、ウェグナーの家具を好きな方なら「おや、ちょっとどっかで見たな」と思って頂けるはず。その通り、ゲタマ社が作るソファ、GE375に以前使われていた生地です。ヴィンテージのGE375でよく見る生地柄です。2019年にゲタマ社との協同でケアロップヴァヴェリがデンマークで復刻しました。あのソファ用の生地ですが、サイズを考えれば他の椅子やソファにもこのように張れるんです。
プラスチックグライズやベースを支えるゴムなど、樹脂製部分に割れなどなく安心してお使い頂けます。ウェグナーがデザインしたGE375。それソファ用にとデザインされた椅子生地。彼とヤコブセンの歴史上の接点を考えると、興味深いコンビネーションです。是非ご検討下さい。
サイズ | W520 x D535 x H780 x SH450mm |
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デザイナー | Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン) |
買い付け場所 | デンマーク |
製造会社 | Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン) |
オリジナル/現行 | オリジナル |
張地 | 「VIGSOE」(「ヴィグス」)(ケアロップ・ヴァヴェリ社製) |
張替 | 生地、クッション材共に張替済 |
送料
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